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福岡高等裁判所 昭和28年(ネ)768号 判決

控訴人 鈴木明夫 外五名

被控訴人 大西ヒサ (いずれも仮名)

主文

一、原判決中控訴人長須賀ミサオの敗訴部分を取消す同控訴人に対する被控訴人の請求を棄却する。

二、原判決中その余の控訴人等に関する部分を左のとおり変更する。

控訴人千田モト、同鈴木明夫は連帯して被控訴人に対し金十四万二千円及びこれに対する昭和二十四年十月二十二日以降支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払わなければならない。

控訴人小松勝、同大西連齊、同西川正美は連帯して被控訴人に対し金二万円及びこれに対する昭和二十四年十月二十二日以降支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払わねばならない。

被控訴人のその余の請求を棄却する。

三、訴訟費用は第一、二審を通じ、控訴人長須賀ミサオと被控訴人との間に生じた部分は、被控訴人の負担とし、爾余の控訴人等と被控訴人との間に生じた部分は、これを十分しその九を長須賀ミサオ以外の控訴人等の負担とし、その余を被控訴人の負担とする。

四、本判決は被控訴人において控訴人鈴木明夫、同千田モトに対しては各金二万円、控訴人小松勝、同大西連齊、同西川正美に対しては各金三千円の担保を供するときは、その勝訴部分に限り当該控訴人に対し仮りに執行することができる。

控訴人千田モト、同鈴木明夫において各金七万円、控訴人小松勝、同大西連齊、同西川正美において各金一万円の担保を供するときは右仮執行を免るることができる。

事実

控訴代理人は、原判決中控訴人等敗訴部分を取消す、被控訴人の請求を棄却する、訴訟費用は第一、二審を通じ被控訴人の負担とするとの判決を求め、被控訴人は控訴棄却の判決並に担保を条件とする仮執行の宣言を求める旨申立てた。

当事者双方の事実上及び法律上の陳述〈立証省略〉はいずれも原判決の当該摘示と同一であるから、ここにこれを引用する。

理由

被控訴人は、福岡県嘉穂郡○○町△△××番地専光寺住職松山智照の妹で、昭和十八年二月二十七日二十五才の時、同県粕屋郡○○村□□東隠寺住職当時戸主大西隆憲と結婚し、爾来同棲し、同年六月三日婚姻届出をなしたものであるが、隆憲は被控訴人と結婚同棲僅か二週間にして同年三月十五日応召し、昭和十九年六月三十日中支において戦病死したこと、隆憲と結婚当時大西家の家族は隆憲とその姉控訴人ミサオ並びに被控訴人の三人であつたので、隆憲応召後約二年半の間は、東隠寺は被控訴人と控訴人ミサオの二人暮しであつたが、控訴人ミサオも昭和二十年二月一日訴外長須賀弘平と結婚(同年八月一日届出)して鹿児島に去り、同年八月隆憲の叔母千田モトが神戸で戦災に遭い東隠寺に帰つて来たので、その後は被控訴人と控訴人千田モトの二人となつたこと。その後昭和二十一年七月隆憲戦死の公報があつた為、大西家の相続問題及び東隠寺の後任住職の問題起り、東隠寺の門徒及び親族側は控訴人ミサオを呼戻して大西家を相続せしめ、その夫長須賀弘平を迎えて東隠寺の住職とすることに決定したこと。よつて控訴人長須賀ミサオは昭和二十二年三月二十四日夫長須賀弘平と協議離婚し、大西家に復籍して東隠寺に帰り、親族会は昭和二十二年五月二十八日控訴人長須賀ミサオを大西家の家督相続人に選定し、同控訴人は同年五月三十日家督相続の届出をなしたところ、被控訴人の兄、訴外松山智照が右家督相続人選定の決議をした親族会員たる控訴人小松勝、原審相被告大西直治を相手取つて右親族会決議無効確認の訴訟を福岡地方裁判所に提起し、昭和二十四年五月十四日その無効確認の判決が言渡され、この判決が確定したことは当事者間に争がない。

而して成立に争のない甲第四、第六号証、同第八号証の一、二同第九号証の一、二、三、同第十号証の一、三、同乙第一号証及び控訴人長須賀ミサオ、小松勝、大西連齊、西川正美と被控訴人との間において成立に争なく、当審における控訴人大西連齊本人尋問の結果により真正に成立したと認める甲第十三号証の一、二原審及び当審証人白木久則、原審証人久保国義、同松山シゲ(第一、二回)、同松山智照(第一、二回)、同吉川喜久雄、同久保武、同金丸正、同及川虎良の各証言、原審及び当審における控訴本人小松勝、当審における控訴本人西川正美大西連齊、原審及び当審における被控訴本人各尋問の結果を綜合すれば以下の事実、すなわち隆憲応召後は、被控訴人の実兄訴外松山智照が東隠寺の代務住職を勤め、事務上のことは同人がこれを処理し、法事等は被控訴人が昭和十九年五月永願寺において得度を受けて後は自らこれを勤めていたこと。然るに昭和二十一年七月隆憲戦死の公報があり、同年十月五日には遺骨が帰り、同年十二月十九日降憲の葬儀が行われるに至つたところ、隆憲戦死の公報があるまでは東隠寺の門徒も被控訴人に対して親切でありその間何の葛藤もなかつたのに、隆憲の遺骨が帰つた前後頃から控訴人千田モト、鈴木明夫等親族の態度は一変し、殊に控訴人千田モトは、このままに推移すれば東隠寺は他家から来た被控訴人に取られることとなるのを嫌い、被控訴人を東隠寺から追出さうと企て親類及び門徒等に対し、被控訴人は同村川上由喜少年(当時満十五、六才)と肉体的の関係がある旨虚構の風説を流布して門徒と被控訴人との離間を策し、隆憲の義兄(隆憲の姉鈴木紀子の夫)にあたる控訴人鈴木明夫もこれに同調して控訴人千田モトを支持し、被控訴人の不身持を理由に被控訴人の追出しを図つたこと。川上由喜は隆憲が、出征前日曜学校を経営していた当時の生徒であつて、特に隆憲に可愛がられ、その頃から屡々同寺に出入しており、隆憲出征当時は小学校六年生であつたが、隆憲が応召出発の際由喜の父に対し、後は女ばかりで不用心故、由喜を同寺に泊りにやつて貰い度いと依頼していた為、隆憲出征後は、常時東隠寺に寝泊りに行つていた者であるが、昭和二十一年十二月十九日門徒及び親類一同が参集して隆憲の葬儀を営んだ当日、葬儀終了後控訴人千田モト、鈴木明夫等は、故ら門徒総代等に対し、仏前に供えられた金や米を被控訴人が由喜に貢ぐ虞があるからと称して門徒総代に持帰らせ、恰も由喜との風説が真実であるかのように門徒達を誤信憤慨させて益々騒ぎを大きくしたこと。斯様にして虚構の風説は次ぎつぎに門徒間に伝えられ、隆憲の葬儀が済んだ頃から門徒達の間には被控訴人を非難する声が次第に大きくなり、控訴人鈴木明夫、及び被控訴人の不身持の噂を盲信した門徒総代等(約十名位)は度々会合を重ねて被控訴人は不身持だから、この際実家に引取らせ、控訴人長須賀ミサオを東隠寺に呼戻して隆憲の相続人とし、ミサオの夫訴外長須賀弘平を後任住職とすることを決定、福岡市にある永願寺派の教務所に対しその諒解を求める運動をすると共に○○町正法寺の住職訴外石井良寛を通じ、被控訴人の実母松山シゲに対し被控訴人を実家に引取るよう要求したが拒絶されたこと。(被控訴人は控訴人千田モト、鈴木明夫等親族の冷い態度に堪えかね、一旦は門徒総代に対し白紙で実家に還して貰いたいと申出たこともあつたが、実母松山シゲ等の注意を受け、身の潔白を証明する為同寺に留ることを決意し、右申出を撤回する旨を門徒総代に通告してた。)然るに、控訴人小松勝(朝倉郡○○町観音寺の住職)は隆憲の叔父の養子控訴人大西連齊(佐賀県○○町、仁和寺住職)は隆憲の叔父に当るところから共に東隠寺の後任住職の問題及び大西家の相続問題に関心を寄せ、控訴人大西連齊は、東隠寺宛に、控訴人小松勝は、東隠寺及び門徒総代宛に、いずれも右二つの問題協議の為、速かに親族会議を開かれ度い旨を書き送つたので、門徒総代白木久則は右の件につき協議する為昭和二十二年二月十二日同人方に門徒総代、門徒世話人及び親族の参集を求めた結果、同日同人方に、門徒総代及び門徒世話人計約二十余名と親族側から控訴人鈴木明夫、大西連齊、小松勝及び隆憲の叔父の義兄で福岡市東隠寺の住職である控訴人西川正美等が参集して協議を重ねたが、被控訴人の不身持を盲信している門徒等は交々被控訴人を非難攻撃し、被控訴人のいる寺には参らぬという者も多数あつて門徒の被控訴人に対する不信任の空気は甚だ強く、もはや如何ともすべからざる状態になり、結局門徒総代及び門徒世話人は被控訴人が曾つて門徒総代に白紙で実家に還して貰い度いと申出たことがあつたのを逆用し(その申出は既に撤回されているに拘らず)「被控訴人を白紙で寺から退去させる。長須賀ミサオを呼戻してその夫長須賀弘平を東隠寺の後任住職とする」旨の決議をなしたこと。控訴人小松勝、大西連齊、西川正美は、右会合において初めて門徒等から被控訴人の不身持ということを聞かされるや、何等これについて調査し、被控訴人や川上由喜の弁明を求めることもなさずして、軽率にもこれを盲信したばかりでなく予て東隠寺の後任住職には大西家の血縁につながる者を据えたい気持があつたところから門徒に追随して右決議を支持し、会議に列席した門徒一同及び控訴人鈴木明夫等約二十余名と共に、右決議を携えて直ちに東隠寺に到り偶々被控訴人が不在であつたので、その実母松山シゲを介し被控訴人に共同の申入をなすこととし先ず被控訴人小松勝が一同を代表して、松山シゲに対し、被控訴人を実家に引取るべきことを共同で申入れ、その理由を問われたのに対しても「理由は述べる必要なし、被控訴人が知つている」と答えて暗に被控訴人を不身持であるとしてこれをなじり他の者も交々被控訴人の退去を要求する等、被控訴人の名誉を著しく毀損する如き言動をなしたこと。然るに被控訴人が東隠寺からの退去を承諾しなかつた為、激昂した門徒等は被控訴人と絶交し、昭和二十二年三月以後は全く東隠寺に出入せず、法事等の依頼も一切しなくなり、この為東隠寺の門徒からの収入は皆無となつたこと。又控訴人鈴木明夫、千田モトもこれに同調し、被控訴人に対し益々冷酷な態度を取るに至つたこと。その後控訴人小松勝及び訴外大西直治、被控訴人の実兄松山智照の三名は、控訴人小松勝の申立に基く福岡区裁判所の決定により、大西家の家督相続人選定の為の親族会員に選任され、昭和二十二年五月二十八日その招集を受けたが、控訴人小松勝及び右大西直治は松山智照の反対を押し切つて控訴人長須賀ミサオを家督相続人に選定する旨の決議をなし、右決議に基き、長須賀ミサオは、その夫長須賀弘平と仮装の離婚届をなして大西家に復籍し、同年五月三十日家督相続届をなしたこと。よつて松山智照は小松勝及び大西直治を相手方として福岡地方裁判所に右親族会決議の無効確認の訴訟を提起したこと。(其の結果は昭和二十四年五月十四日右決議は無効なる旨の判決があり該判決は確定した。)一方被控訴人は昭和二十二年三月白木久則外二名の門徒総代を名誉毀損脅迫強要罪として福岡市箱崎警察署に告訴したので、同署において捜査の結果、被控訴人が不身持であるとの風評は全く事実無根であると断定され、同署の勧告に基き昭和二十二年十一月頃門徒との間に一旦和解が成立したが、門徒等は釈然とせずなお東隠寺に参詣するに至らない為昭和二十四年七月村長の仲裁によりあらためて和解をなしたこと。その後門徒等の誤解も次第に解けて結局昭和二十四年十一月以降は大部分の門徒は、旧来通り東隠寺に参詣するに至り、東隠寺の収入も大体旧に復したことを認めることができる。甲第二号証の記載内容、原審及び当審証人白木久則、原審証人吉川喜久雄、当審証人天野尚生、同鈴木紀子、同松山シゲ(第二回)の各証言、原審における控訴本人千田モト、原審及び当審における控訴本人長須賀ミサオ、同大西連齊、同小松勝に対する各本人尋問の結果の一部中、叙上の認定に反する部分は措信し難く、爾余の証拠を以ては右認定を覆すに足りない。

叙上認定のとおり控訴人千田モト、控訴人鈴木明夫において共同して被控訴人が不身持であるとの虚構の風説を流布した行為(明夫については右の外前記二月十二日の決議を支持し、被控訴人の素行を理由に門徒等と共に被控訴人の退去を要求した行為)は著しく被控訴人の名誉を毀損したものであつて不法行為となること勿論であるが、前認定のとおり、被控訴人は永願寺において得度を受けて僧侶となり、控訴人ミサオが東隠寺を去つて後は壇家の法事、東隠寺における法要等は専ら同人においてこれをなしていたのであるから、その被控訴人に不品行等の風評がある以上、門徒が東隠寺に法事を依頼したり、同寺に参詣したりしないようになり、その結果東隠寺の収入が減少するに至ることは当然の成行であつて、前叙の控訴人千田モト控訴人鈴木明夫の行為から通常生ずべき損害というべく、仮りにさうでなくて特別事情により発生した損害だとしても、右のような結果の発生は前記虚構の風説を流布し被控訴人の追出しを企てた当時において、右控訴人等の予見し又は予見し得べかりしことであるから、たとえ門徒が東隠寺に参詣せず、また法事を依頼せぬようになつたことが門徒自身の決意によるとしても、かような結果を発生するに至らしめたことに対しては、右控訴人両名は不法行為上の損害賠償責任を負わなければならない。

よつて先ず控訴人千田モト及び同鈴木明夫の負うべき損害の数額について考えるに、門徒が東隠寺に参詣せず、また法事を一切依頼しなかつた期間は、前認定のとおり昭和二十二年三月より昭和二十四年六月までの二年四ケ月であつて、その間における門徒による東隠寺の収入は原審証人松山智照の証言(第二回)と当審における控訴本人小松勝尋問の結果に、原審における被控訴本人尋問の結果により真正に成立したと認められる甲第十四号証を綜合すれば、月平均四千円と認めるを相当とするから、右期間における東隠寺の収入の減少は合計十一万二千円であり、これはそのまま被控訴人の損害である。控訴人小松勝は東隠寺の収入の減少は、直ちに被控訴人の収入の減少とはならないと抗争するけれども、原審及び当審における被控訴本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、東隠寺の収入は門徒の供物、布施等であつて、この収入は同寺の所属する永願寺派の寺院では、そのまま住職及び寺族の取得となり、住職及び寺族は、これによつて生活を維持する機構となつていること、並びに東隠寺は、住職であつた隆憲の死亡後、被控訴人が住職となるまでの期間は住職がいないで寺族としては被控訴人が唯一人いただけに過ぎなかつたことが認められるから、隆憲死亡後被控訴人が住職となるまでの期間内における東隠寺の収入の減少は、直ちに以て被控訴人個人の収入の減少となるものということができる。

而して控訴人千田モトと控訴人鈴木明夫は前認定のとおり共同して前記行為をなしたのであるから共同不法行為者として連帯して被控訴人に対して右の損害を賠償する責任がある。

又右控訴人両名の前記不法行為により被控訴人が甚大な精神上の苦痛を受けたであろうことは前認定の事実自体によつて明らかであるから、右控訴人両名は被控訴人に対しその苦痛を慰藉するに足る金員を支払う義務ありというべく、その額は前認定の一切の事情の外、当審証人白木久則の証言及び原審における被控訴本人尋問の結果により認め得べき被控訴人がその後東隠寺にとどまることができ、昭和二十四年七月一日東隠寺の住職となり、既に再婚している事実及び右控訴人両名と被控訴人との間に争のない被控訴人が旧制嘉穂高等女学校を卒業して大西家に嫁したこと、控訴人鈴木明夫が自作農兼鍛冶屋業を営んでいること等を綜合して金参万円を相当と認める。

次ぎに控訴人小松勝、同大西連齊、同西川正美については、同人等が大西家に血縁ある者を大西家の相続人とし、東隠寺の後任住職には、その血縁者にゆかりのある者を以てしようとする意向を有し、その為被控訴人を実家に引取らせ度いという動機によつて動いていたことは前認定のとおりであるが、このことは大西家の親族としては自然の人情であつてその実現を企図すること自体は何等非難すべきことではない。併しながら問題はその方法であつて、前認定のとおり、昭和二十二年二月十二日の門徒と親族との会合において前認定の決議がなされた際、被控訴人を実家に引取るべきことを要求する理由となつたのは、専ら被控訴人の不身持ということにあるから若しその理由とされたところが真実でないならば、不法不当に被控訴人の名誉を毀損し、これに重大な侮辱を加えることとなるのは勿論であるから、右控訴人等としては、直接被控訴人及びその母松山シゲ等の弁明を聴き、且前記川上由喜につきその真相を質す等、その真偽につき慎重に調査を遂げた上でなければ斯様な決議に賛成し、その決議の実行を図るべきでないのにも拘らず、同人等はそれぞれ一寺の住職として指導的立場にある者でありながら前認定のとおり何等斯様な措置に出ずることなく、漫然門徒等の言を軽信してこの決議に賛成したばかりでなく、即時この決議を携えて門徒等多数及び控訴人鈴木明夫等と共に東隠寺に赴いて、被控訴人の実母に対し、被控訴人の不品行が間違のない事実であるかの如き言動をなし、これを理由に被控訴人の退去を要求したことは、明らかに社会の一般倫理観念に背反し善良の風俗に反する所為であつてこれにより被控訴人の名誉を毀損したものというべく、被控訴人に対する不法行為となるものといわねばならない。

従つて右控訴人等三名は共同不法行為者として、被控訴人がその名誉を毀損されたことによつて蒙つた精神上の苦痛を慰藉するに足る金員を連帯して支払う義務ありというべく、その金額は前認定の一切の事情を参酌し金二万円を以て相当と認める。被控訴人は門徒が東隠寺に出入しなくなり、法事を依頼しなくなつた結果生じた東隠寺の収入減少による損害をも、右控訴人等三名に対して請求しているけれども、前認定のとおり、右控訴人等三名が二月十二日の門徒との会合に出席する以前、既に門徒総代等は被控訴人の不身持を理由に、これを実家に引取らせ控訴人長須賀ミサオを東隠寺に呼戻し、同女の夫長須賀弘平を東隠等の住職とすることを申合せ、訴外石井良寛を通じ右二月十二日の会合前(二月一日)被控訴人の実母松山シゲに対しその要求をして居り、又永願寺派の福岡教務所に対しても、同一理由に基き、被控訴人を排して長須賀弘平を東隠寺の後任住職に任命され度い旨を陳情していた事実及び前認定のとおり二月十二日の会合における前記決議も門徒等が専ら主動的に出て、右控訴人等三名はこれに追随したに過ぎない事実に徴すれば、右控訴人等三名の前認定の言動がなかつたとしても、前記決議は成立し且実行に移されていたものと認められるし、まして門徒等のいわゆるボイコツト的行動(東隠寺との関係を絶つに至つたこと)は、既に認定したとおり前記二月十二日の会合では論議はされていたが未だ決議されておらず、右控訴人等三名が前記会合を終えて各自の寺に帰つて後において、被控訴人が前記立退の要求を拒否して実家に帰らぬ為愈々憤慨した門徒等が、勢の赴くところ遂にかような行動に出たのであつて、以上の事実に徴すれば右控訴人三名の前認定の言動がこれに対し何等かの影響を与え、それによつて初めて右ボイコツト的行動がなされたものではなく、門徒等の右ボイコツト的行動は、右控訴人三名の言動如何に拘らず行われたものと認められるから門徒等が東隠寺に参詣せず、法事を依頼しなくなつた結果生じた損害を右控訴人三名に対し請求するのは失当である。

更に控訴人長須賀ミサオについては、被控訴人は控訴人ミサオも前認定の他の控訴人等の不法行為に加担し、虚偽の風説を流布して被控訴人の追出しを企図し実行したと主張し、原審証人松山シゲ(第一、二回)の証言中には、一部これに符合する証言があるけれども、これは当審における控訴人長須賀ミサオ本人尋問の結果及び理由冒頭に引用した各証拠と対比すれば措信し難く、他にこれを認めるに足るべき証拠はない。

もつとも控訴人長須賀ミサオが長須賀弘平と仮装の協議離婚をなし、復籍の為東隠寺に帰つて来たこと、及び家督相続の届出をなしたことは、前認定のとおりであるけれども、これは門徒及親族の決議により同女を大西家の家督相続人とし同女の夫を東隠寺の後任住職とすることが決定されたので(斯様な決議のなされることについて同女が関与したと認むべき証拠は全くない)同控訴人はこれを受けただけのことであつて、(このことは前認定の事実からおのずから明らかである。)既に門徒及び親族によつて斯く決定された以上、これを受けることは、大西家の最も近い血縁者たる控訴人ミサオとして無理からぬことであつて、これを拒否する義務があるとは到底いい得ないから、これを以て、被控訴人に対する不法行為とすることはできないし、又これを以て他の控訴人等の前示不法行為に加担したものとすることも、できない。従つて控訴人長須賀ミサオに対する被控訴人の請求は失当である。

以上のとおりであるから、控訴人千田モト、鈴木明夫は被控訴人に対し金十四万二千円及びこれに対する訴状送達の後なること記録に徴し明白である昭和二十四年十月二十二日以降完済迄年五分の割合による遅延損害金を連帯支払う義務あり、又控訴人小松勝、大西連齊、西川正美は連帯して金二万円及びこれに対する右同日以降完済迄年五分の割合による遅延損害金を支払う義務があるから、被控訴人の本訴請求は右の限度おいてこれを認容し、その余は失当として棄却すべきものである。よつてこれと趣旨を異にする原判決は失当であつて本件控訴は理由があるから、控訴人長須賀ミサオの敗訴部分は、これを取消し同人に対する被控訴人の請求を棄却し、他の控訴人等に関する部分は、これを変更すべく民事訴訟法第八十九条、第九十二条、第九十三条第百九十六条を適用し主文のとおり判決する。

(裁判官 野田三夫 中村平四郎 天野清治)

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